なぜ私は本を読むのか? 映画を見るのか? - The Red Diptych
先日、JLG好きさんという方からメールをいただいた。そのメールの中で、以下のようなことを聞かれた(ご本人の許可を得た上で転載)。
ここからが本題、というより質問したいことなのですが、あなたのように体系的に鳥瞰した視野から対象を論じるような批評を書くためにはどんな本を読めばよいのでしょうか。僕は現在大学生で、授業で映画や文学作品を批評する課題を出されたりするのですが、どうも参考文献の収集が下手で、でたらめに言葉を並べたような代物しか書けませんでした。
哲学、SF、純文学、アメコミ、映画などの各分野に関して、どれくらいの量の、またどんな本をよめばあなたのような教養が身につくのかできたら教えていただきたいです。厚かましいお願いですいません。
う〜む……。すぐに答えられそうでいて、どうも私としては色々と迂回をしなければ答えられそうもない。また、かなり長々とした一般論をも含むので、どうせなら最初から一つのエントリとしてブログにアップすることにしてみた。以下は、直接お答えするときのような敬語なんかは省き、一つの一般論として書きます。
なぜ私にとってこの質問が答えにくいかというと、一見して関連するようにも思える二つのことが、実は私の中では完全に分裂しているからだ。
私が現在の私となるまでにどのような書物をどのように読んできたかということは、まあ割と簡単に答えられる。しかしその一方で、どのような書物を読めば批評性が身につくのかということは、ちょっと手短に答えられそうもない。
と言うのも、そもそも私が書物を読もうとするのにあたって、「批評性を身につけよう」などと思って、そのような目的に生かすために読書をしたことなどないからだ。いやもっと言えば、「教養を身につけよう」という目的をもって読書したこともない。
思うに、批評性だとか教養などというものは、それ自体を目的として目指してはいけないものなのではないだろうか。何か目指すものがあってそこへ到達しようと進みゆく過程で、ふと気がつくと、結果として身についている。そういった類のものだと思うのだ。
だが、これは既に結論だ。私はいかにしてこのような結論にたどり着いたのかということについて、改めてたどり直してみたい。
思えば、このブログでは私はほとんど自分語りをしていないのだが……まあ、たまにはいいか。私が覚えている限りで、子供向けの絵本や児童書ではない読書らしい読書を最初にしたのは、小学校三年生のときにコナン・ドイルによるシャーロック・ホームズものを読んだことである。小学校の図書室にシャーロック・ホームズ全集が揃っていて、なんとなくその内の一冊を読んだのだった。それがどの作品だったのかはあまりはっきりと覚えていないのだが(『バスカヴィル家の犬』あたりだったかな?)、面白いなと思って、そのままホームズ初登場の『緋色の研究』を読み始め、結局小三の内にシャーロック・ホームズ全集を読破したことを覚えている。
小四に上がってからは、そのままアルセーヌ・ルパン全集を読み始めたのだが、これはそれほど面白いとは思えず、結局全部は読まなかった(しかし、今ふと思ったのだが、当時読んだ『ルパン対ホームズ』は、私が接した最初のクロスオーヴァーだ。もしかすると、このことが、私の後のアメコミ好きを準備したのかもしれない……)。
小五・小六のころは、今度は江戸川乱歩の著作集を読んでいたりした。さすがに「怪人二十面相」とかは、「これは子供向けだなあ」などと子供ながらに思ったものだった。が、乱歩のデビュー作「二銭銅貨」なんかも、既にこの頃読んでいた。あと、あまりにもインパクトが強くていまだに覚えているのだが、殺人の代行をする会社を描いた短編なんてのもあった。奥さんだか恋人だかに浮気された男が、憎しみのあまり殺人の代行を依頼する。で、その女の人が、一見するとただの砂地なんだけど実は底なし沼みたいになっているところに誘い出され、ずぶずぶと生き埋めになっていくところを、男が密かに覗いている、という話。
いや、確かに、今にして思えば「いかにも乱歩」ではあるのだが、何でそんなもんが小学校の図書室に置いてあったのか謎である。おそらく、教員も含めて、実際に図書室に置いてある本の中身なんて誰も把握してなかったのだろう。
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それ以外には、SFの世界各国の著作集を読んだりもした。また、この頃になると少し背伸びして、文庫本で世界文学の名作とされているものを自分で買ってきて読んだりすることを始めていた。まあ、ヘッセの『車輪の下』であるとか、ヘミングウェイの『老人と海』であるとか、いかにも軽めなものであったのだが。
中学に入ると、娯楽の時代小説なんかを読むことも多かった。また、惰性でだらだらとミステリを読んだりもしていた。が、どうも自分の読書の水準が下がったような気がしており、その内読まなくなった。そんな中学時代に私にとって転換点となったのが、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことだった。とにかく、世界の文学史で最高峰とされているものも、今の自分なら読み切れるはず、という自負が強くなっていたのだった。
『罪と罰』を読み進めていく過程で、どんどん熱中してのめりこんではいったのだが、最後の最後で強烈な違和感を抱いてしまった。主人公のラスコーリニコフは様々なことを考え、悩み、揺れ動くわけだが、「キリスト教の信仰」という解をポンと与えられることによって全てが解決してしまう。それはないんじゃないの、という気持ちを持ってしまったのだ。
まあ、今にして思えば、ドストエフスキーの作品で『罪と罰』が最も名高いのは、それが世の中の側からして最も受け入れやすいものであるからに過ぎないということもわかる(それに、よく読めば、最後の方のラスコーリニコフの回心にしても、それほど単純な描写がなされているわけではないのだが)。また、マルメラードフが酔っぱらってクダをまいてるところとか、本筋とはあまり関係ない細かい描写の方が、むしろ優れているようにも思える。
それはともかく、『罪と罰』を読み終えた後で「何か文学はもういいかな」と思ってしまった私は、高校時代には、文学よりも哲学に積極的に接しようとするようになっていたのだった。
ただまあ、例えば岩波文庫に入っているカントやニーチェを無理矢理読み進めたりしていったわけだが、哲学書というのはそんな読み方で理解できるものではない。
それでもまあ背伸びをして知識を集めようとする過程で、色々と周辺知識を得ていってはいた。この頃は小説を読むときには、哲学の側から参照されているのをきっかけに手を取るような感じだった。そのため、著作の多くをまとめて読んだのは、カフカ、カミュ、安部公房といったあたりだったと思う。
また、今から振り返ってみると、自分が最も尖っていたのはこの時期だった。中学・高校の国語教育の過程で、既に日本近代文学は大嫌いになっていた。が、きちんと主要な作品を通して読みもせずに毛嫌いするのもいかんなと思い、教科書的に大作家ということになっている太宰やら三島やらの主要な作品を何冊かずつ買い込んできて読み通し……「こんなもんが優れた文学とされてるんだったら、おれには日本文学なんか必要ねーよ!」という感想を持ったのだった。
特にこの頃は、現代文の教員との確執が最も尖鋭化していた時期でもあった。今でもよく覚えているのは、読書感想文の課題として村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読むことを強制されたことだ。「こんなゴミを強制的に読ませること、また感想文の書き方などについて最低限度のノウハウを教えることもせずにただ「感想を書け」と放任すること、そのいずれもひたすら無意味であり、こんなことをやらせるのは教師の自己満足に過ぎない」というような主旨の内容を書いて提出したところ、「これは読書感想文ではない」と突っ返された挙げ句、提出物未提出扱いにされたのだった。まあ、現在の私の視点からしても、別に言っている内容がおかしいとは思えないし、生徒に対してこんな反応し� ��できない奴は教員失格だと思う。
そんな私の読書遍歴の中でも最大の転機が訪れたのは、まあ何とか適当に大学に潜り込んだあとのことである。受験勉強が終わってぽっかりと空いた時間の中で、ここは久しぶりに巨大な小説を読んでやれと思って手に取ったのが、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』であった。この小説を読み進める過程でとてつもなく巨大な衝撃に打ちのめされた私は、ついにドストエフスキーの真価に触れた。このとき、改めてドストエフスキーに出会い直したのだと言ってもよいだろう。
さて。この頃までの私の読書の仕方を改めて振り返ってみると、批評の類にはほぼ全くといっていいほど触れていない。とりわけ、同時代的にどのような人がどのような作品をどのように評価しているかなどといった動向には全く何の興味も持っていなかった。
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つまり、ただ単に、自分が読みたいものを、自分の読みたいときに読んでいたのである。そして、何かの目的のために読書しているのではないということ自体は、現在でも変わっていない。では、なぜ本の読み方が変わったのかと言えば……自分の読みたいものを読むという欲求が突き詰められたときに、脈絡のない漫然とした読書では満足できない状態にまで達したからなのだ。
『カラマーゾフの兄弟』に出会う前の私の読書も、おそらく現在の平均的な日本人と比較すれば、かなり濃いものであるだろう。しかしこれは断言できるのだが、『カラマーゾフの兄弟』と出会ってしまってからの私の読書は、質・量ともに、それまでのようなぬるいものではなくなった(もちろん、その経験が、大学に入る前の春休みのことだったというのが、極めて幸福なことだったのだろう)。
ドストエフスキーの作品にあまりにも巨大な衝撃を与えられて揺り動かされたからこそ、ドストエフスキーがそこに至るまでの展開を全てたどり直す欲求に憑かれ、その作品を誰がどのように受容したのかまで知り尽くしたいという欲求に憑かれる。
自分はドストエフスキーの作品からここまで受け取ったという内的な基準があるからこそ、数々の研究書を読み解く中で、その研究が作品の価値に見合ったものであるかどうかを判断する基準になる。だからこそ、例えばミハイル・バフチンのドストエフスキー論が極めて優れたものであるとわかり、心から感動することができる。
あるいは。自分の内面に打ち立てられた基準が、結局のところ、その他の作家を判断する基準としても機能し始める。例えば日本語で書く作家の中で、誰が最もドストエフスキーの作品に揺り動かされ、心からそれを受け止めたのかを知りたくなる。……そのような動機の元に大江健三郎の小説と出会い、その作品に衝撃を受けることもできた。
もともと私は日本の近代文学を嫌っていた、とは既に書いた。だが真に驚くべき作品に出会った後には、その作品に影響を与えた系譜を自らたどり直すことにもなる。そうして、第一次戦後派なりなんなりの作品を読み込むことになっていった。
もちろん、ドストエフスキーに出会うにせよ大江に出会うにせよ、事前に必要最低限度の文学史の知識がなければ、そもそもそれらの作品に出会うこと自体がない。しかし、無数の作品が相互に持つ相関関係を、単なる知識を越えて自らの内に血肉化されたものにするには、自分の内部に自分が実際に作品を接したときの感情を蓄える必要がある。……つまり、文学史を単に知るのではなく、文学史を自ら生き直す必要がある。
これから文学なり芸術なりについて知見を深めようとする者に必要なのは、心から感動し、衝撃を受け、自分のそれまでの人生観の見直しを迫られるほどの体験をすることだと思う。つまり、そのジャンルの頂点をまずは自分自身の身を持って実感することである。そうすることによって、何が優れた経験であるかの基準が自分の内に打ち立てられることになる。
逆に言えば、文学作品によって心から感動することのできない人は、無理をして文学に接しようとする必要はないのだと私は思う。ある人を最も揺り動かすことのできるジャンルは、映画かもしれないし演劇かもしれないし絵画かもしれないし音楽かもしれないし陶芸かもしれないしダンスかもしれない。それがなんであるかはわからない。しかし、何か具体的な作品で心から揺り動かされた経験を軸に据えなければ、そのジャンルの全体像を有機的に理解する視点を獲得するところまでは到達し得ないのではないか。
だから、文学だったら文学を理解しようとする者にとって大事なのは、まずは心からショックを受ける作品に遭遇することである。それは、ただ何となく面白いとか、退屈しないとか、わくわくするとか、その程度のことではない。比較を絶した絶対的な経験を獲得するために、まずは手当たり次第に作品にあたることが必要だ。その際、勉強がどうしたとか教養がどうしたとかいった、他の目的のことを考えていてはダメだと思う。ただ自分の内的欲求にまかせて、自分が読みたいものを手当たり次第に濫読する。そして、もし自分が素晴らしい経験をすることができたなら、そのような作品を作りうる作者は、そのジャンルの中にまだまだいるはずなのだ。彼らと出会うために、再び濫読を続ければよい。
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もちろん、そのような読み方を続けると、いつかは限界に突き当たる。体系的な知識を得たいという欲求を持つ時点がくる。そして、体系的な知識を学習するのは、その時点からでよいと思う。自分の中に、個々の作品に接した経験が蓄積されていれば、文学史なら文学史の資料がそれぞれの作品をどのように処理しているかが見えるようになり、それぞれの資料の価値も判断できるようになっているだろう。
世の中には、本はこう読めとか、こういう風にメモをとりつつ整理して読めとか、このように線をひきつつ読めとか、色々と本の読み方を指南する人がいる。現在に至って私が実感するようになったのは、そんなものは全部無視してかまわない、ということだ。
と言っても、そのようなアドバイスが役に立たない、というのではない。むしろ、役に立つものもあると思う。ただ、こういうやり方が役に立つらしいと人に言われて、自分を既に存在する他人の型にはめていくようではそもそもダメなのだ。まず先に、読みたいという欲求があり、その欲求にあわせて、読みたいものを読みたいように読み進める。そして、自分の読みの粗さや拙さが自分で気になるようになったときに、人の読み方を参考にし、自分の実感として取り入れられそうなものは取り入れればよいというだけのことだ。
結局のところ、参考資料の読み方にしても同じことが言える。一つの資料の言うことをただ単に鵜呑みにするのであれば、ただそれは、その資料の劣化コピーを自分の頭の内に溜め込んだのに過ぎない。そうではなくて、資料の使い方を自分で判断できる時点で手を出せばよいのだ。
とは言いながらも、その一方で、一つ問題がある。おそらく、文学に限らず文化・芸術全般は、そのような手当たり次第の欲求に任せた接し方で最初はよいと思う。しかし、専門的な学問はそうはいかない。ある分野の流儀に慣れ、専門用語への理解を進め、難解な思考へ分け入るトレーニングを地道に積んだ後で、初めて切り開かれる認識というものはやはりある。それは、現状の自分自身の身に合うものだけを探しているのでは絶対にたどり着けないものだ。
ではどうしたらいいのか? 大学生であるのならこれは簡単だ。自分の専門をきちんと学んで専門書の読み方の訓練を積み、語学の学習をこつこつと続けつつ(大学入学時点のままの語学力なんてものは使いものにならない)、同時に濫読を続ければよい。
これは、大学生であれば確実にできると、自分の経験を振り返りつつ断言できる。私の場合、そのような両方のタイプの読書を進めつつ、同時に映画も見まくっていたので。もう映画との出会いの経緯の方は面倒だから書かないけれど、大学時代には、毎月フィルムで最低10本は見ることにしていた。そのため年間120〜130本というところで、ヴィデオやDVDも合わせるとだいたい年間400本くらいは見ていた(このころはマメに感想のノートをつけていたので本数の記録も残っているのだった)。
ダラダラして時間を潰さなければそれくらいのことはできるというのが、大学生の特権だと思う。
結局のところ、問題は、自分がやりたいかどうかなのだ。読書をするのは、自分にとってそれが最も充実した経験をもたらしてくれるからやるのであり、自分自身がそれを望むからやるのだ。そして、体系的に背景知識を精密に学習してまでくまなく理解したいという欲求をも持つに至ったから、そこまで労力を投下するのだ。
たぶんこれはどのような分野でも同じであると思う。何でもいいのだが、例えば、超一流の数学者とは、最も数学の魅力を理解してそれに取り憑かれた人間であるはずだ。
そして、ニーチェの言う「喜ばしき知識」とは、まさにそのようなもののことなのであり……ニーチェのそのような側面を最も強く受け継いだのは、ドゥルーズなのだと思う。
ドゥルーズは、『スピノザ 実践の哲学』の冒頭で、次のように書いている。
ニーチェは、自身も身をもってその秘密を生きただけに、哲学者の生に秘められた謎をよく見抜いていた。哲学者が禁欲的な徳ーー謙虚・清貧・貞潔ーーをわがものとするのは、およそ特殊な、途方もない、じつのところ禁欲とはほど遠い目的にそれを役立てるためなのだ。哲学者はそれを、彼個人の、おのれ一個の特異性の表現とするのである。それは彼にとっては道徳的な目的でもなければ、別の世[あの世]のための宗教的手段でもない。いうならば「結果」、哲学そのものがもたらす結果である。そもそも別の世など、哲学者にありはしないからだ。謙虚も清貧も貞潔も、いまや[生の縮減、自己抑制であるどころか]ことのほか豊かな、過剰なまでの生、思惟そのものをとりこにいし他のいっさいの本能を従わせてし まうほど強力な生、の結果となるのであり、そのような生をスピノザは<自然>と呼んだのだった。スピノザのいう<自然>とは、必要[需要]から出発してそのための手段や目的に応じて生きられる生ではなく、生産から、生産力から、持てる力能から出発して、その原因や結果に応じて生きられる生のことである。謙虚も清貧も貞潔も、まさにみずからが<大いなる生者>として生き、われとわが身を、あまりにも誇らかな、あまりにも豊饒な、あまりにも官能的な原因のための一神殿と化す、彼(哲学者)一流のやり方だったのだ。
教養を得ることそれ自体を目的として学ぶこと、それは空虚だ。だがその一方で、教養を持つこと、あるいは持っている者を非難する者も後を絶たない。教養など役に立たないのだと、あるいは、そんなものは時代遅れなのだと、あるいは、インテリぶるための自己満足の道具なのだと。
だがそうではない。ある種の知的営為の中で、「ことのほか豊かな、過剰なまでの生」を求める者、「他のいっさいの本能を従わせてまうほど強力な生」を生きた者、自らの生それ自体を「豊饒」で「官能的」なものにすることを徹底した「大いなる生者」が、結果として教養を手にしていることもあるという、ただそれだけのことなのだ。
自分自身がそのような生を生きる者は、自分とは違うやり方でもそのような生がありうることを知っている。だから、文学の価値を知る者は、絵画や音楽の価値を理解できなくとも、敬意を表することを忘れることはないだろう。
だが教養それ自体を攻撃する人々は、そうではない。彼らは、そもそも何かの目的のために役立てられるのではない対象があること自体を知らないのだ。
文学なり芸術なりの文化的営為の中で「大いなる生者」たらんとするものが、ある時点から批評的にならざるをえない理由は、まさにここにある。私は以前、批評とは対話性を要求すると書いた。だがそれだけではない。現代社会においては批評的であるとは、戦闘的であることを辞さないこととなるしかない。
なぜ、批評家時代のゴダールやトリュフォーは、戦闘的であり続けたのか? それは、彼らが映画を通して「大いなる生者」であったからだ。だが彼らが信じる価値は取るに足らぬゴミとして扱われた。その一方で、彼らの目にはゴミとしか写らない芸術ごっこが、真正の芸術として扱われた。……彼らは、業界の中で存在感を得るためや、キャリアの足がかりのためといった、何か他の目的のためにある役割を演じたのではない。映画を映画として、「過剰な生」を生きた結果、戦闘的であるほかなかったのだ。
翻ってみるに、現在の日本で、文学の置かれた状況はどうか。何か他の目的のために文学が「役に立たない」と非難する者……「終わった」とする者……あるいは、何か他の目的に「役に立つ」ゆえに、そのようなあり方を要求する者……そんな有象無象であふれかえっている。
驚くべきことに、プロの批評家・評論家であるということになっている連中の多くが、むしろこの手の輩なのだ。彼らの言説を一読すれば、彼らが文学を文学として、それ自体で肯定できる瞬間に遭遇したことのないことは明らかだ。彼らにとっての文学とは、あるいは権威として持ち上げる文学史とは、私が先ほど述べたような、劣化コピーの集積としてのゴミの塊でしかない。ゆえに、連中の振りかざす知識や権威は張りぼてに過ぎず、正面から突けば瓦解する程度のものでしかないこともまた、明らかだ(実際に、一度このブログでも実践してみたことがあるが)。
そして呆れることに、文学を仕事として携わっている人々が、この手の輩を起用して、文学の現在の一翼を担っていることにさせてしまい、それでいて恥じることを知らないのだ。
再びドゥルーズの言葉……フーコー追悼に際してのドゥルーズの言葉を踏まえれば、批評とは、「馬鹿どもを黙らせる」ためにもあるものなのだ。
私は、文学を通して「大いなる生者」となり、またそうあり続けることを願う。そしてそうであるがゆえに、戦闘的であるほかないのだ。
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